サウナとHIP-HOP文化をクロスオーバーをさせる懸念

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サウナとHIP-HOP文化をクロスオーバーをさせる懸念

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先に述べておくが、この記事は誰かをdisしたり批判するものではないということを頭に入れて読んで置いて欲しい。過去の経験から踏まえて発信しているものだということをご了承いただければ幸いだ。

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サウナは未知の可能性を秘めたベクトルの領域の業界

オアシスサウナ アスティル

オアシスサウナ アスティル

サウナや温浴業界はまだ発展途上国の様なもので手探り状態で色々と施設の一だったり、関わる人は発信だったり、行動・アクションを起こしていると思う。かく言う、自分もお客側から施設側の方に回る事もあったり、テントサウナを無料開放して人を招待して行っていたりする(公衆浴場法を取っていない為有料化が出来ない為、また満足行く状態ではないのでお金はまだ取っていない)人間でまだまだ手探り状態でアクションを起こしている。

第3次サウナブームと呼ばれる中様々なサウナが出来ている状態で、飽和状態にもなろうとしているのではないか?と思われる状態にもなりつつある。その様な状態の中で需要と供給自体が合わなくなりつつあるのでは?とも感じる。

全国にあるサウナ(公衆サウナ)の総数は約5000軒以上と言われている。日本サウナ総研による2021年の日本のサウナ実態調査では月1回以上月4回未満利用の「ミドルサウナー」は523万人、月4回以上サウナを利用する「ヘビーサウナー」は339万人である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%8AWikipediaより引用

 

これだけ増えているにも関わらず、廃業や休業に追い込まれている施設が少なくない事も周知の事実。話はそれたが、サウナは未知の可能性を秘めたベクトルの領域の業界だと自分自身は感じている。

HIP-HOPとは黒人文化の象徴から生まれている

HIP-HOPとは1970年代にニューヨークのブロンクス地区で開かれたブロック・パーティーにルーツのあるアフロアメリカンの音楽であり、MC、グラフィティ、ダンス(B-BOYING)、RAPの4大要素に加えてknowledge(知識)を加えたものをHIP-HOPと呼ぶ。HIP-HOPのゴッドファーザーはAfrika Bambaataaであるのは有名であり、HIP-HOPを広める組織としてZULU NATION(ZULU KINGz)というものが存在する。認められた者はHIP-HOPの業界・世界において多大なる権力・影響が無いとまず選ばれる事はないと言っても過言ではない。DJ、音楽としてはKool Hercがターンテーブル2台にミキサーを繋いで、当時の音楽の間奏部分・Breakを繋いでDJをしていたことから生まれている。勿論、ダンスもそうで、そのBreakで踊るからBreakingと呼ばれる。この音楽を後にBreak Beatsと呼ぶようになり、そのBreak Beatsをサンプリングした音楽が後のHIP-HOPと呼ばれる音楽に代わっていく。ここで述べておくが、今大衆的に呼ばれるHIP-HOPという踊りは、厳密にはFREESTYLE HIP-HOP(OLD SCHOOL HIP-HOP PARTY DANCE)と呼ぶのが正しいモノだと記述しておく。黒人や貧困層の差別問題が表面化してきた中で生まれてきたカルチャーであり、アフロアメリカン(米国在住黒人)を象徴する文化と言って過言ではない。因みにアフロアメリカン同士以外がアフロアメリカンに対してNiggaやNigroと表現すると激昂して攻撃してくるので辞めるのをお勧めする。逆に、アフロアメリカンが白人や黄色人種に対して「Hey!Nigga」というのは仲間と認めた証拠で、名誉な事でもある。自分自身、アフロアメリカンの友達にそう言われた経験も沢山ある事も記述しておく。

元々Gangとは人を攻撃したり強奪する集団ではなかったが・・・

Crips

1960年代にはワッツ暴動が発生したが、同じく黒人居住区であったコンプトンやその他の地域でも、貧困や人種差別に対する不満が高まっていた。レイモンド・”レイレイ”・ワシントンが、ブラックパンサー党員として活動するアヴェニューズ(Avenues)に魅了され、個人的に加入を望んだが拒否される。そのため、1969年にレイモンド・ワシントンやスタンリー・ウィリアムズらによって、クリップスの前身組織が結成された。1971年。重要人物の一人であるスタンリー・”トゥッキー”・ウィリアムズ、マック・トーマスを組織に加え、ベイビー・アヴェニュー・クリブス(Baby Avenue Cribs)と改称することになる。しかし、徐々に肥大化しつつある組織の取りまとめに苦慮するようになり、創設当時の志を知らぬ新規メンバーの身勝手な行動によって、クリブスによる犯罪が頻発するようになる。 その結果、当時のクリブスの悪事の数々が紙面を賑わすようになり、1972年2月10日のロサンゼルス・センティネル誌に「杖を突いた障害者達(Cripples)による、初老の日本人女性に対する事件」として紙面掲載された。72年にはロサンゼルス・タイムズも、このギャング集団を「クリップス」と呼んだ。クリブス(Cribs)という呼称は、次第にクリップス(Crips)という呼称に転じ、ロサンゼルスの人々に認知されるようになっていった。しかし、レイモンド・ワシントンの遺族は1971年の結成当初より組織名はクリップスであったと証言している。その裏付けとして、結成時の3セットはレイモンド・ワシントンのイーストサイド・クリップス、スタンリー・ウィリアムズのウエストサイド・クリップス、マック・トーマスのコンプトン・クリップスであり、すでにクリップスの名称が使用されている。 1972年以降、クリップスによる犯罪はさらに凶悪さを増し、象徴ともいえる黒いレザージャケットを得るために、若い世代による強盗が頻発するようになった。多くの場合、老人や年齢の離れた少年少女が標的とされ、裕福な家庭に育った者は格好の的であった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B9Wikipediaより引用

とあるようにGang集団として有名なCripsは元々人を攻撃したり強奪する集団ではなかったということになり、人を守ったり、社会活動をする集団だったと考えられる。Crips(青Gang)に対抗する様にBloods(赤Gang)が台頭していったのは有名な話。しかしながら、同じアフロアメリカン同士で〇し合いや強奪を繰り返すのは馬鹿らしいと、協定を結びBloods&Cripsというラップグループを結成しアルバムを出したのも有名だろう。かの有名なRAP ARTISTであるDJ QUIKもBloodsであったがために、CripsのCを使えずにDJ QUICKからDJ QUIKに変えざるやむ得なかったのはあまり知られていない。LAのGHETTOな地域、コンプトンやLBC等では、電柱にGangのカラーのコンバースの靴がぶらさげられていて、それ以外のカラーを着ていたらそれ相応の事をされる・・・といった覚悟が必要だ。と、LAの現地民にも聞かされた事がある。DOWNTOWNの洋服屋や雑貨屋は夕方5時にはシャッターが閉まり日が落ちる前には閑散としていた。。。LAに滞在してる時に電車やバスで夜中移動していたら、全身TATOOの日本でいう堅気の格闘家の恩師に「お前は馬鹿か?」と言われた事も覚えている。・・・車で滞在先のホテルまで送られていった。

LA

LAの至る所でGangの抗争の爪痕は今でもあり、泊まっていたホテルの窓に銃で撃たれた後、宿屋の主人は指が動かなくなっていたこと・・・知り合いに聞いた話でクラブに手榴弾が投げ込まれた事、コンビニで買い物をしていたら後ろからGangに銃を突き付けられそばにLAPDが居たにも関わらず、とっさに逃げて行ったという出来事など・・・数を数えたらキリがない。日中街中を歩いてる時にCripsのTATOOが入っている女性を見つけた時は足が遠のいた・・・地域によっては、夜中でなくても日中でも銃声が聞こえて撃たれたという話も聞いた。90年代半ば頃には日本にも青ギャング、赤ギャングというものが登場し世間を騒がせる事になる。

GangやHIP-HOPを語る上での音楽や文化への自分の体験談

NWAやICE-TといったGangに深い所縁を持つARTISTの出現で、特に西海岸・WEST COASTはDEATH ROW RECORDと言った暴力的表現をするレーベルができてARTISTや楽曲、所謂Gangsta RAP、世間一般でいうG-FUNKという楽曲が世間に浸透し始める。これらの楽曲はHIP-HOPと言われれば、HIP-HOP。HIP-HOPでないといえば、そうではないかもしれない。自分自身、20代初めの頃に2PacのCalifronia Loveをクラブで聞いて、G-FUNK、G-RAPやCHICANO RAPにのめり込んでいくことになる。勿論、当時は情報も発達しておらず、英語も全くわからなかったので、カッコいいとの理由だけで聞いていた・・・今思えばとても恥ずかしい事だったと思う。約10年は、G-RAPを聞き続けていて、流行りの音楽がGangsta RAPだと誤認識するくらいまでになってしまっていた。内容といえば、他のARTISTを名指しでdisる曲、酒、女、お金、薬・・・そんな内容の曲ばかりだった。この頃には本国アメリカでは東西抗争が激しくなり、Notorious B.I.Gや2Pacと言った社会的に影響を及ぼすARTISTが銃〇されていってしまった。

徐々にインターネットも普及し、LAに何度も渡米したり長年DJをしていて、色々な体験や情報を聞いたりするうちにGangsta Rapがとんでもない内容のモノでとてもじゃないが、人様に聞かせれるモノではなかった・・・と気付く。一度、米軍基地でDJをしていたこともあり、暴力的表現をしている楽曲は除いてくれと軍のお偉いさんに言われて、全部インストでかけていたら「DJ上手いな」とほめられたのも覚えている。そうこうしている内に、日本人で唯一リアルに2Pacと共演した事があり、日本人最初のZULU NATIONに加入したDJさんと繋がってしまい、同じ現場でDJをする事になっていく。そこには、NY帰りで日本で一世風靡をしたARTISTのDJさんも居て、DJ歴10年を超えていたにも関わらず、前座・・・しかもフライヤーには名前すら記載させてもらえなかった。勿論、客を集めるのは自分達で集客が悪ければ、とある人に激昂され凄い事になっていた・・・こ、これが、本当のHIP-HOP・・・?自分が憧れていたLAのGangsta Rapの先に在るもの?と・・・

疑問を抱く様になってしまった。勿論、日本でGangsta文化なぞ受け入れられる事もなく、DJをしていてもかける事なんて一切無かった。この頃から、DJへの意欲を失い道を閉ざそうと決意する。GangやHIP-HOPというリアルなモノを目の当たりにして、自分自身と照らし合わせて自分自身を見失ってしまったのだ。のちに、NY帰りで日本で一世風靡をしたARTISTのDJさんに「DJ上手くなったな」と褒められそこで心が折れてしまい、DJの道を閉ざそうと決意し、クラブやDJと言ったモノと決別する決意をした。あまりにも、リアルなGangsta、Gang、HIP-HOPというものが自分に重すぎたのだ。

サウナとHIP-HOP文化をクロスオーバーをはさせない

現在、サウナ活動を行ったり、熱波イベントに少しずつ参加させてもらったりさせてもらっている。有難い事だ。自分自身、過去の経験を踏まえて、HIP-HOPやGangと言ったモノはサウナに必要ないと思っている(誰かを批判したりdisる事でない)。あくまでも自分自身決心した事であり、他人は他人だ。HIP-HOPをしたり、Gangを名乗る事自体自分にとって重荷だからだ。HIP-HOP音楽やGangsta Rapは偶に好きで聞いたりするが、全く良いフィーリングが自分に入ってこないのでサウナに絡めようとは全く思わない。それならば、心地よい音楽Rare GrooveやDeep Soul、JAZZ等をお届けしたほうが全然いい。これは、人それぞれなので自分に言い聞かせているだけだ。長くなったが、自分自身は、サウナとHIP-HOP文化をクロスオーバーをさせる事には懸念を抱いている。

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